新規企業の参入と軽乗用車の急増

乗用車の生産動向を会社別にみれば、前回までの件の特徴は、いっそうはっきりします。


先発メーカーが高い利潤を求めて大型車へむかうというアメリカの自動車工業の要約の日本版がみられるからです。


中古車情報によりますと、乗用車の生産は、トヨタ、日産の二社で半ば以上(7~8割)をしめ、乗用車工業もトラックの生産と同じくトヨタ、日産を先頭にいすず、三菱などのトラック・メーカー、さらに航空機転換メーカー、11・3輪車メーカーなどが追いかけながら発展したそうです。

軽乗用車を生産して高度成長

大型車中心のアメリカを例外とし、中古車情報によりますと、西ドイツの気筒容積1000㏄~2000㏄の小型車中心(43年203万3585台、全乗用車生産台数の88・6%)に対し、わたしたちの国の乗用車工業は、同気筒容積の小型車(43年56・2%)とともに超小型車というべき気筒容積1000㏄以下の軽乗用車を大いに生産して高度成長したのです。


このかぎりでは生産台数で世界三位に達したもののフランス(43年、気筒容積1000㏄以下42・7%)、イタリア(同58・7%、うち500㏄以下24・7%)の乗用車工業に接近したというべきでしょう。

車種別にみる

車種別にみると、気筒容積2000㏄の普通車は38年の3027台、全乗用車の0・8%から43年2万3707台、生産乗用車の1・2%へ伸長したにすぎず、気筒容積361㏄から2000㏄までの小型車が36年の1万5930台、全乗用車の78・5%から43年15万459台、全乗用車の75・4%へと爆発的に成長しました。


同時に気筒容積360㏄以下の軽四輪車も36年の5万3578台、全乗用車の21・5%から43年8万1756台、全乗用車の23・4%へと伸長しました。


さて、本日も中古車の検索で色々勉強しようと思います。


世界第三位へ

わたしたちの国の乗用車工業は、設備の拡充、専用工場の建設によって爆発的に発展しました。


中古車情報と乗用車の生産台数をみれば、第V13のごとく36年の24万9508台から43年には205万5821台へ8・2倍増加し、アメリカ(741万台)、西ドイツ(229万台)についで一挙に世界第3位に達しました。


それだけではなくトラック、バスを含めた全四輪車の30.7%から50・3%に達し、トラック生産国から乗用車生産国へと7年間で大転換しました。


さまざまなメーカーが・・・

プリンスも、39年ワシントン銀行から340万3799ドル、ナショナル銀行から100万ドル、デトロイト・ナショナル銀行から20万ドルを、日野も40年ロンドン・アソド・アソー・アメリカ銀行から5億680万円を借入れたのです。


中古車情報によると、四輪メーカーだけではなく東洋工業も、40年ウェルズ・ファーゴ銀行から660万ドル、ジラード信託銀行から120万ドル、マニファクチャーズ・ハノバー信託会社から72万ドル、ザ・コスモポリタン・ナショナル・シカゴ銀行から48万ドルなどを借入れました。


本田も、37年8月にアメリカ預託証券(ADR)20億6869万円を資本準備金にくりいれたほか、39年にはユナイテッド・カリフォルニア銀行から108万ドルを、鈴木ですらも、ミッテランド・アンド・インターナショナル銀行から2億8888万円を借入れたのです。

アメリカへの依存

乗用車工業の巨大化にあたって、規模は縮小されたもののアメリカの経験と資金とが利用されつづけたことはいうまでもありません。


中古車情報によると、自動車関係の借款は、36年度、2件、1250万ドルか39年度(4~12月のみ)には19件、4290万ドルへと小口化しながら増大したそうです。


日産は、39年ファースト・ナショナルシチー銀行から500万ドル、チェスマンハッタン銀行から同じく500万ドルを、41年デトロイト・ナショナル銀行から400万ドル、42年にはトロント・ドミオソ銀行から100万ドルを借入れ、いす黛圃も、39年メドウブルック・ナショナル銀行から120万ドル、40年にはコソチネンタル・イリノイズ・ナショナル銀行およびシカゴ信託会社から240万ドルを借入れました。

四輪車メーカーに脱皮

43年8月現在働の投下資本は、鈴鹿製作所でほぼ107億円、うち土地、建物37億円、機械装置、工具、備品58億円、その他有形固定資産10億円、狭山製作所でほぼ217億円、うち土地、建物50億円、機械装置、工具備品59億円、その他有形固定資産13億円に達し、西製作所で合計487億円の半ば近くをしめた。


鈴木も、本社工場を拡充するとともに、磐田工場を建設し、四輪車メーカーに脱皮した。


中古車の情報によると、43年9月現在働では二輪車の生産は24・4%に下落し四輪車のそれは75・6%に上昇しました。


その投下資本は、本社工場43億円、盤田工場29億円に達し、従業員もそれぞれ3805人、1733人へと増加し、乗用車とともに軽四輪トラックも生産した。

従業員の増加

43年10月まで池田第一工揚への投資額は47億円、うち土地2億円、建物17億円、機械装置24億円、その他の設備4億円に達し、従業員は3232人に増加した。


また池田第二工場への投資額は、3億円、うち土地4億円、建物21億円、機械装置12億円、その他設備27億円へ達し、従業員も3231人に増加した。


中古車情報をみると、二輪車のトップメーカー本田技研も、鈴鹿製作所(二輪車併用)、狭山製作所を建設し、四輪乗用車メーカーへ転換し四輪車の生産比率は50・6%(二輪車39・7%、農機具2・0%、その他7・7%)に達したそうです。

乗用車、商用車の組立が可能となった

中古車情報によれば、ダイハツも38年から乗用車に進出し、同年5月コンパーノ、同年10月ベルリーナを発表した。


ダイハツでも四輪乗用車への進出を前提とし、39年8月トラック組立ての専用工場として池田第二(西)工場を建設しはじめ、翌40年2月全面操業に入った。


同工場が四輪トラックのほか四輪乗用車の架装、組立てもできるよう設計されたことはいうまでもない。


この池田第二(西)工場の建設でこれまで三輪車、軽四輪車の組立て工場であった第一(東)工場で乗用車、商用車が組立てられることになりました。

ロータリーエンジンの組立て工場

三輪車メーカー、東洋工業も総合自動車生産体制の確立を急ぎ、本社および本社工場の拡充をはかるかたわら41年から43年㈲にかけて宇品地区に世界的水準の乗用車専用工場を建設しはじめました。


注目すべきは中古車情報にもありましたが、ロータリーエンジンの組立て工場の建設でしょう。


東洋工業は、46年3月まで総額56億円を投じロータリーエンジン月産能力1万台の組立て工場の建設を計画し、その第一期計画(約33億円、月産5000台)として、機械、熔射、ダイカスト、鋳造、鍛造、熱処理、メッキ工場などを新設、整備、増設したのです。