« 2011年09月 | メイン | 2011年11月 »

2011年10月 アーカイブ

普通車では

普通車では、昭和38年にまず日産が生産を開始し、39年トヨタとプリンスが参入したが、41年には早くもプリンスが脱落し、トヨタ、日産の寡占が(40年の83・0%を除き8~10割)、より正確にいえばトヨタの独占というべき体制(43年、95・9%)が確立した。


しかし、乗用車工業にしめる地位は全く低く、43年でようやく1・2%をしめ、特殊な需要に応じたにすぎませんでした。


小型乗用車の生産は、36年には日産、トヨタを軸として(76・8%)いす父、日野の戦前メーカー、三菱、プリソス、富士重工の航空機からの転換メーカーがこれを追いかけたにすぎなかったが、37年三輪車メーカー東洋工業が、38年同じくダイハツ、二輪車メーカー本田が、40年鈴木が、この分野に新規参入し、合計11社に達しました。


そのためほぼ7~8割をしめつづけたトヨタ、日産の寡占体制がややくずれて40年には7割弱(39年70・3%、40年67・3%)に減少しました。


この発展が今のミツオカ 中古車を支えています。

競争時代

中古車検索から見ると、貿易の自由化に対しわたしたちの国の自動車工業は、メーカーすべてが、乗用車を生産してぶつかったことになるでしょう。


しかしながら軽乗用車では、この小型乗用車とちがって、濫立、競争時代をむかえた。


軽四輪車の生産は36年には東洋工業、富士重工の2社にすぎなかったが、37年三菱、鈴木が、41年ダイハツが、42年本田が新規参入し、上述したようにほぼ5万台からほぼ48万台へと9倍以上伸長した。


このように軽乗用車の生産動向をみれば、わたしたちの国の乗用車工業の発展は、乗用車工業が戦略産業へ上昇したことから、寡占化した二輪車メーカー、斜陽化した三輪車メーカー、航空機転換メーカーが、その技術を生かして超小型乗用庫の生産にのりだしたことにょるところが大きい。


アメリカにくらべれば、トヨタ、日産の生産車種も小型車だが、それよりさらに小型の、オートバイを二つ並べて鉄のカバーをつけた軽四輪乗用車を生産して、ともかく生産台数だけを世界第三位におしあげたといえます。


これが自由化に対するわたしたちの国の乗用車工業の対応でした。

About

2011年10月にブログ「ルンルンで中古車情報を収集」に投稿されたすべてのエントリです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2011年09月です。

次のアーカイブは2011年11月です。

他にも多くのエントリがあります。メインページアーカイブページも見てください。

管理人のお気に入り

なし